2017年10月27日

評:牡丹茶房『Maria』

総武線の長さに倦んだので書き始め、「もったいない」から公開する即出し記事なので、乱筆と論旨の穴はご容赦を。


「もったいない」という印象がとても強かった。


冒頭で主人公が起こした、「殺人」というフィクション値の高い要素によって全体のレベルが「虚構」に寄ってしまった。主人公はおそらくかなり作演出の人物像を重ね合わせた存在なのだろうが(事前のインタビューでも『身を削って』と表現していた)、それによってせっかくの私小説性を失ってしまっている。私小説の強みである「そこまで曝け出すか!?」というスキャンダル性が薄れ、言うならば安心して見られてしまうのだ。もっと私小説的レベルの虚構性、ドキュメント性が高い物語だったならパワーを持ったはずのエピソードもあったのに(それがどこまで事実かはわからないが)、それにフィクションという皮膜が噛まされてしまっていたことが、残念だった。

これは一種ワイドショー的な、下世話な感覚なのもしれないが、私小説・自伝においてその部分と作品の面白さはどうしたって不可分だし、だったら「身を削った」のにその効果が薄まるのは単純にもったいない。そう感じてしまうのだ。


しかし「殺人」という要素がその「もったいなさ」以上の効果を上げていたか、というとそこには疑問符が付く。


もう一つの、しかも主人公にとってもっと大きな「死」によって冒頭の死が塗り替えられてしまってはいないだろうか。

主人公がラストシーンに語りかける相手は、懺悔し懇願する対象は、老死した猫であり、犠牲者ではない。そのことに対する倫理的な部分は抜きにしても、少し違和感がある。

物語をスタートさせた「死=動機」とゴールである「死=結果」が微妙に重なっており、微妙にズレているのだ。もちろん主人公にとってアイドルと猫が等価でないのもキャラクターとしての立ち位置が異なるのも理解しているが、プロットレベルで最大の要素がブレてしまうのも、やはりもったいないと思うのだ。

これは多分におれがペットの命と人間の命を等価とは考えられないのもあるのだろうけど。


また、冒頭に殺されるアイドルは、あくまで自分の理想に拘泥する主人公に対しての、「美学を捨て現状と折り合いをつけ生きていく」というオルターエゴ(もう一人の自分)またはダークサイド(自分の暗黒面)とも考えられる。実際に、主人公の想念を死者との対話として表現しているので、そう考えるのも不自然ではないだろう。だとすれば、その殺害はつまり自らの弱い部分・煮え切らない部分を棄てることであり、その時点で何がしかの主人公の「成長・変化」が描かれていなければならないだろう。

しかし、主人公が自作のドラマ化には拘ったり、それまでの生活を維持しようとしたり(それに関しては『美の完遂』が動機、という見方もできなくはないが)、殺した瞬間には大きな変化を遂げているわけではないので、「半身」としてあのキャラクターを考えるのが難しくなってしまう。第一、そのように見せたいのならもう少し主人公との対比がしっかりしていなければならない。


「半身」でなく主人公と猫とアイドルを「三位一体」として捉える、ということもできるかもしれないが、だとしたら余計にラストシーンは「三位」でなくてはならないだろう。そこにあのアイドルは介在しているべきである。


最後に、どうしても気になったことが一つ。中盤過ぎたくらいに、主人公が「作品を見ろ!」と怒りを露わにする。自分の状況や人間性は放っといてくれ、と(さすがに正確に引用できなくて申し訳ない)。

ここに関しては、明確に矛盾があると感じた。


主人公は執筆中の自作について、自分が殺人者であることが世間に明らかになることで完成する、と考えているのではなかったのか?

それは作品において、「自分」の存在が勘定に入っていないか?

それは彼女の言う「作品を見」ることなのか?

主人公の行動原理や感情がすべて筋が通っている必要はないだろう(そこについては作中で自省的・自嘲的に語らせている)。ただ、この作品での主人公の「作品論」「美学」に関してはそれは許されるのだろうか?そこは強固であり一貫していなければならないのではないだろうか?


ここが一番腑に落ちない部分であり、意見がある人がいたら是非聞きたいところである。

posted by 淺越岳人 at 22:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月15日

『そして怒濤の伏線回収』私的登場人物紹介

【飯田】
まちづくりコンサルタント。元々はあかり町商店街の出身だが、実家の「飯田文具」を継がずに東京で地域開発の職に就く。孝夫・美由紀とは幼馴染。「地元のために」と情熱を燃やすが、彼がアーケード撤去を含んだ地域活性化案を持ち込んだことで、会議は紛糾する。
【孝夫】
小山田精肉店の店主。まだ若いが、父の死去にあたって店を継ぐ。父が商店街の前理事なのもあって運営にも積極的。青年部として活性化案を旧知の飯田に依頼するが、アーケードの存続を巡って対立する。しかし同時に、幼馴染で妻である美由紀との夫婦仲という大問題を抱えている。
【美由紀】
父の代わりにあかぎ酒店の代表として参加。孝夫の妻であるが現実的な部分があり、それが夫婦の性格不一致を招く。結果「病気の母の手伝い」という名目で事実上の別居中。飯田の撤去案にも一定の理解を示す。
【吉岡】
飯田の仕事上の後輩。合理主義的で融通が効かず、度々クライアントと衝突する。それに目をつぶれば、有能で熱意のある、飯田とはお互いに信頼し合うパートナー。
【小川】
小川クリーニング店主。商店街青年部と理事たちの中間世代であり、今回は"お目付役"として会議の進行をかってでるが、優柔不断な性格からか結論を先送りにしようとする。最近帰郷した娘の智美の今後に頭を痛めている。
【智美】
小川の娘で元漫画家。上京し、ペンネーム「小川土門」として一度は雑誌連載まで漕ぎ着けるも、夢破れて実家に戻る。人間関係が苦手で地元にも馴染めず、父によって強引に会議に引っ張り出されるものの、落書きばかりしている。
【関】
若くして独立した塗装業者・絆コーポレーションの社長。地域貢献にも積極的で「絆」「志」と言った暑苦しいワードを多用する。当然アーケードの存続の急先鋒。
【北野】
北野電気代表。利に聡く、ビジネスチャンスをいつも狙っている。頭の回転が速く、アーケード存続派の参謀的存在。しかし基本的に関の金魚のフン。
【持田】
コンセプトのはっきりしない飲み屋「愛子の店」のママ。自分の意見が皆無のノンポリだが、とりあえず多数派であるアーケード存続陣営に属している。美由紀と仲が良い。
【笠原】
笠原古書店店主。商店街の外れに店を構えているのもあり、アーケードの存在には懐疑的。会合にも斜に構えた姿勢で臨むが、話し合いが揉めれば揉めるほど元気になる愉快犯。
【橘】
美大生。卒業制作として「アート・アット・アーケード」というプロジェクトを立ち上げ、あかり町商店街に持ち込む。自信家で「デキる女」ぶっているが、マイナー大学に通っているのがコンプレックス。
【牟田】
橘が招聘したインスタレーション作家。現代美術界隈でそれなりに名は通っているようだが、言葉が独特すぎてコミュニケーションに難あり。アーケードを利用した新作を構想している。


posted by 淺越岳人 at 09:52| Comment(2) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

Happiness is a Chekhov's Gun

小屋入りしたわけだが、いつになく浮かれている。
たぶん、作ったものが気に入っているからだ。

こういうことを書くとまたいつもの懐古主義みたいなんだが、『エクストリーム・シチュエーションコメディ』を発明したときと近い感覚。しかもそれを今回の公演で、今のこの座組で発明できたことは、少なくともおれにとって本当に大きなことなのだ。

インディーズでものを作る以上、そこには一定のアンダーグラウンド性が必要だと思う。もちろんいわゆる「アングラ芝居」を指しているのではなく(もはや白塗り・耽美は"形式"だし"ポップ"で"セルアウト"だよねとも思う)、実験精神とオリジナリティの在り方の話だ。これは精神論ではない、もっと切実な要請だ。資本や情宣ではメジャー(『商業』という言葉は嫌いだ)に太刀打ちできないのだから、当然それに代わる「生存戦略」がなければならない、というだけの話だ。その知恵と思想がないのならそれはインディーでなく、ただのマイナーだ。

思想だの戦略だの、そんな面倒くさいことを言いつつも、まあ大前提は劇場でウケるコメディを作ること。それはそうなんだけど、おれはウチの最大の武器はその「哲学」の部分だと思うのだ。

「もっとストレートに、シンプルにコメディをやっても良いのではないか」という疑問はいつも付きまとうけど、やっぱりおれはこういう"変な"コメディが作りたい。"変"だけど、"変"ゆえにウケるコメディが作りたい。
作りたいし、たぶんコッチの方がウケる。

前衛というより前傾。
誰もが楽しめる、誰も観たことがないコメディ。

『エクストリーム〜』『七人の語らい/ワイフ・ゴーズ・オン』に続く、コメディ残虐解体ショー。伏線と回収の、終わりなき快楽無間地獄花弁大回転。
伏線回収というドラッグをキメつつ、会議コメディという4つ打ちビートでブチ上げる、レイブパーティーの名は『そして怒濤の伏線回収』。
でも大丈夫、中毒性はないから、たぶん。

いよいよ15日より、場所はわれわれのラボにしてアジト、新宿シアター・ミラクルにて。


お待ちしております。
posted by 淺越岳人 at 09:38| Comment(1) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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